揩油
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关于前文的说明:
上回发布的一文,?正字应为,虽然注音(yin?sio)无误,但正字有错误,向诸位读者致歉!
:“啊是那,我讲得勿错吧?该个么苏州闲话里读si格,想来想去想勿通”,说得对!希望大家及时恢复原来的正确记忆,不要被误导。所幸文章内容并无因此一字之变发生“塌方”的问题。特此说明。另外,推送后的文章最多只能订正5个错别字,所以就不去修改了。下来当更加仔细地校阅,避免讹误的发生。谢谢诸位的捧场,关心!新冠期间就不握手了,抱拳,鞠躬。今日奉上一文,请诸位笑纳。
????????????????????????????????????????蝠荷堂顿首
???????????????,6,12揩油(ka?yu)
现在,会用这个词的已经算得上老派的朋友了,中年以上,下限大约在70后与80后之间。在大家都说苏州话的年代里使用颇多。时至今日,苏州话“话运”式微,这个词也难得入耳,前些时日,偶见说书先生在台上说书,提到了“揩油”是指“白相人”对“失足妇女”的强横凌辱。有点鲠鲠叫(形容入耳不顺),同时引起我的兴趣,打算仔细拾掇一下这个词的情委理曲。?
?? 苏州话中的单个“揩”字,意为“轻擦”,是常用词。早上起来,刷牙,洗脸开始一天的生活。洗脸叫做“揩面”意即用手捧着湿毛巾擦拭颜面,除非有意按摩,一般不会非常用力。擦桌子叫“揩台子”,用手掌推动抹布按着顺序,左右,上下,将桌子上的灰尘,餐余杂物抹干净。如果遇到顽固污渍或者粘到口香糖之类“揩”而不去的东西,那就要用其他工具了,“三男,台浪(上)有滩积硍(沉积的污渍),拿把刷子来,汏脱(洗掉)仔(了)再揩干净”老板检查面馆桌面后对跑堂小伙吩咐道。
过去澡堂里洗澡,有搓背服务,苏州话叫“擦背”,热毛巾绞得干干的,缠在擦背师傅臂膊上,顺着你的后背用力擦下来,完全是一条热辣辣的丝瓜筋的触感,“哦哟,倷(你)力道大得啦”“八用劲,擦不出来的欧”(不使劲,擦不出来的啊)扬州师傅虽然很瘦,胳膊上栗子肉还是蛮厉害的!一通操作后,能刮下不少污垢。
与国语“擦”意思差不多的动词,在苏州话里有:坑(kang),抹(ma,me),揩,擦等,力度逐步升高。啰嗦许久的意思是“揩”字带有轻柔的感觉,绝无粗暴之感。?国语的擦玻璃窗苏州话多叫做“揩”玻璃窗,因为“擦”的力度容易出问题,当年的几个小钉子,油灰嵌边的玻璃用力一“擦”脱出框档来,从楼上掉下来那是要闯大祸的。收拾烂摊子,国语叫“擦屁股”,苏州话则称“揩”屁股,颇有爱惜尊臀的柔软感觉。皮鞋才是需要“擦”的,不说“揩皮鞋”,诸位一想就能体会出“揩”,“擦”的力度差异了吧?????????????????“揩油”的源头,再捕风捉影恐怕也是难以定论的事。生活中太常见的动作了。生不出什么噱头来。
说书先生较为含糊,只说到来源不高雅。正因为如此最终可以归结到对妇女的强横凌辱上来。当然,不高雅的来源就不要去“自找没趣”了,所以,算是虚晃一枪。
同治三年春的某一天,陆稿荐案板上,切割熟肉之后,汪着一摊油腻,伙计取绵纸“揩”了一下,藏在袖中,不料被老板发现,问起“揩油”的目的,伙计答曰:“回家生火用作纸媒,易燃而爽利”老板回复说:揩油事小,店规事大,今日绵纸揩油,明日难保不会藏半个酱鸭。于是伙计被罚跪反省,足见老店的管理严格。此事见之类的书名,是清代苏州某个“名不见经传”的“某夹里”(苏州话某姓之人的意思,略有贬义)所记载,这样就坐实了“揩油”的由来。不过,这只是我的杜撰罢了。
某地财主,为人吝啬。家财万贯却只吃萝卜,豆腐,青菜,以节省作为继续囤积财富的手段。出门时节,必到窗台边取一宝贝:一片猪皮。“揩”过嘴唇后方跨出门去,一副心满意足之态,再嚼嚼牙签,一路热心与熟人打招呼:“吃过了吗?”勿必使人注意到他肥厚,油润的嘴唇。这就是方言专家考证出的“揩油”的源头。当然也只是记录下来的“据说”,现在这样的方式有个新词叫做“口述历史”。我见过电视剧里的表现八旗子弟落魄之后死要面子的情节,和这位财主的表现完全一致。若说“揩油”的来源,我宁愿相信八旗子弟说,因为,按鲁迅先生的解释:“揩油,是说明着奴才的品行全部的。”而奴才这个词正是满清的特产。汉人官吏自称“臣”,满人官吏自称“奴才”。汉人称“奴才”那是身份的僭越,原来,“奴才”还是种变相的贵族出身的“骄傲”称呼。当然,现在已经再没有“臣”的说法了……不过这样的“揩油”与苏州话里的实际意思并不吻合,除非那片肉皮是买肉时问“肉猢狲”(过去,凡是柜台里忙活的店员戏称某某猢狲,比如药店的伙计称为药猢狲)讨来的或者从案板下偷偷捡来的。
“揩油”在苏州话里最主要的意思是:借着从事某项工作做的便利,捞取好处。按照现在的说法:约等同于贪污与损公肥私。手法很柔软,妙在“巧取”,若有若无,非常“隐泻”(隐蔽)。如果上手就急吼吼地“擦”油,“刮油”甚至于“榨”油,那就功夫“推板”(差劲),沦落到“豪夺”一类,估计马上就要被反贪局请去喝秘制咖啡了。
路边停车,公示价格一次8元,收费员轻扣玻璃窗,你摇下窗来,找来找去只有5块硬币,没柰何,“发票覅(不要)哉(了)”,边说边将硬币倒到探进来的手掌上“行个方便”“好,勿碍”于是两便。收费员得了5块钱,你省了3块,吃亏的是雇佣收费员的物业公司。收费员的这种行为,就是“揩油”。不过,现在探头越来越多,手机APP自动收款日渐普及,这种可供“揩油”的漏洞也就慢慢堵掉了。?
以前,小职员从办公室里,偶尔带回些便笺,信封之类算不得大事,应急用用,情有可原。称不上“揩油”,没有宅电,手机的那些年月里,谁没有用过带着各式厂名或者机构的红抬头便笺写过信呢?开小车的司机,就不屑做这样的事情。他们可以找定点修理厂,票面金额开高些,加油站发的优惠券,礼品券自己捏住,每个月总有些工资以外的进账,多么不多,公司也不至于受很大损失,所以领导签字报销时一般也不会很在意,这就是在“揩油”。
采购“吃回扣”人人都明白其中的手段,胆大朋友靠着单位的招牌,吃吃喝喝,烟酒礼品拿到手软,定期结算虚高部分的金额,日积月累,金额如果达到了法办的红线,这就是职务犯罪了,一旦被发现,轻者吃“排头”(严斥)“呕出来”(退赔),重则就要移送法办。类似的事情,医院的医生也在做着,药品的处方用量都会有记录,以供精确计算好处;有审批权力的部门里也未绝迹,牵涉面很广。从古至今,源远流长,异域各国只要是在人间的地方,都还未绝迹。诸位时不时能从报纸,电视等媒体看得到“蛀虫”落网的报导。“揩油”是贪小利,累积起来就是大窟窿,但凡用人的部门不可不察。
“揩油”的第二层意思是无关从属关系的占小便宜行为。
善“揩油”者,多年前,住宾馆,“揩油”烟灰缸,浴室毛巾,厉害朋友连遥控器也拿回来,后来又跑到国外,用地铁闸口练习跳高,对自动贩卖机练习“铁砂掌”,打得它“出血”,送给你香烟,饮料讨饶。喜欢“揩油”的朋友总是不拘场合地露一手。现在,条件好了,又开始精神追求:赏花要采几朵戴,观水还要洗洗足,酷爱丝巾的大妈的比例多一些。
再来说一说朋友之间那点事。
多见于男性亲密无间者之间。朋友自然不是你雇来当“朋友”的,用这个词,不是说你是他的老板,只是说明你们的关系属于“一伙的”。?“哦哟,该(这)副手套蛮灵啘,我事巧(正好)想弄一副戴戴”不等答复,就套在手上,“倷个赤佬,亦(又)来揩我的油”“覅烦,请奈一礼拜焖肉面”“蛮好,我车子里还有一副勒嗨”这是一种亲密关系的,无须客气的朋友情分的表现,可以说是“明揩油”“当面揩油”。
我们小时候,和同桌互借文具,有时借来一枝刚刨好的铅笔,想到要归还时可能手都握不住了,这大约是“揩油”的初始练习。当然,你必定要换个方式回报他,比如,帮他抄几天作业之类。还有一种暗“揩油”就有点“推板”的成份在里面了。就用前例,拿了别人手套而不请别人焖肉面,用了人家铅笔而不帮人家抄作业之类那就是有问题了,便宜占多了,也会成瘾,就积重难返了。
刚买到手的杂志,自己还没看,被朋友拿去了,隔几天还来时非但卷成擀面杖一条,里面美女头像还烫了一个香烟洞,只得苦笑一下,索性送给他算了。大学里,常有同学之间借自行车的,归还之时,满是泥垢,也不洗洗。这样的“好朋友”除非大家都有不拘小节的真性情,时间长了恐怕关系也会有点隔阂。现在这类被?“揩油”的机会随着人们的基本素质的提高以及观念的改变只会越来越少,汽车上的贴纸“车与老婆概不外借”很能说明问题,虽然是种调侃。
暗地“揩油”已属不快之事,真正被“揩油”更是可恼。因为多发生在熟人之间,心知肚明。只是碍于面子不好发作,最多,下不为例,严重的也可能发展到不再来往的程度。比如:问你借个一、两百块钱急用,说好过几天还你。等过了半个月,路上遇见多次也不见任何还款的表示,且神色自若,毫无压力。你踌躇着是否要开口去讨,想想不必为了这点小钱弄得脸上不好看,就隐忍不发,明知被“揩油”了,也只能在心里骂一声“蹩脚货”。建议此类情况要及早提出,不排除忘记性大的朋友,容易误会。拖久了,可能要被反诘:“啊呀!倷(你)那哼(怎么)勿提醒我一声呢?”倒显得自己斤斤计较,成了“推板”(差劲)之人。
“揩油”的第三种意思是指对女性的不尊重行为,古时书面用语为“轻薄”,正合“揩”字的程度。现在有个名词与之比较匹配:性骚扰。老词汇“调戏”乃至法律词汇“猥亵”等等,都感觉有点过头。青年男女互有好感,看电影时拉拉手,跳舞时腰部不经意地通过几根手指传递力道,若有若无的头发的触碰之类,在当今的时代,都是正常的。但若是换做陌生对象之间或者平日只是面熟陌生的男女之间,女方如果对你毫无亲近感,则男方的这些举动就算是“揩油”的行为了。初次见面,握着美女的手,长久不放,轻拍几下,夸赞之时眼睛喷火,口水欲滴的老板们最是“揩油”的能手,大叔,大爷们在泰国和人妖合影时的各种紧贴,亲密的举动也是“揩油”的注解,据说“油腻男”就是这样来的。????
褚民谊酷爱运动,体格不错。
这里有一位身体力行这类“揩油”的老法师的故事可以顺便一说,那是当年做了汪伪政府“行政院副院长”“外交部长”的褚民谊(~))的故事。照理做了汉奸的人没必要提他,却因最近某位“混元功法”太极大师在与搏击教练切磋时被瞬间击倒,眼睛肿得核桃大还在说“我是点到为止,他违规了”,舆论大哗,怀疑起太极拳到底是否具备对抗性的问题。有热心人找出了当年推崇并练习太极拳几十年的褚民谊留下的影像资料,演示四两拨千斤的技法,看了视频,引起了我的兴趣,并且无意间翻到了他“揩油”的故事,几乎可以当成“揩油”的另一个来源说。那是在年的时候,当年的国民政府在杭州举办了第四届全国运动会,褚民谊正做着国民卫生建设委员会委员长,算得上国民政府里的一员高官,因为喜好国术,对运动会的工作相当热心,竟频频出现在赛场一侧,热心地做着一项属于随队理疗师的工作:为参加田径赛事的女运动员擦松节油,顺便按摩一下,算是热身,估计还不忘鼓励或者夸赞“肌肉真结实,啥时咱比比?”之类。被记者拍照报道,颇惹争议。
「南国美人鱼」杨秀琼。
按说卫生官员爱护运动员也还说得过去,问题是此公尤其关爱“女运动员”,这就有点醉翁之意不在酒的味道了,而且等到年第五次“全运会”在南京召开时,此公又很专注地为有着“美人鱼”之称的游泳女将杨秀琼当起马车夫,亲自引缰执鞭招摇过市。要知道此时他的身份是行政院秘书长,留下了足以供人想象的空间。这老法师最终于年在苏州处决,地点么,就在现在建造中的“耦前”别墅那里------仓街上原第三监狱(按旧地名俗称狮子口监狱)旧址的刑场上,据称以深厚的太极功底,中枪之后居然还能“白鹤亮翅”翻转度,以正面面对法警,让执行者惊出一身冷汗!
娱乐圈的潜规则之类大都在“揩油”到犯罪之间游走,黑幕重重。“揩油”难以把握轻重,一过头就真的要成为说书先生讲的对妇女的“强横凌辱”,闹出丑闻,吃外国官司那就是报应了。所以“揩油”有风险,游戏需谨慎。因为这件事上,“揩油”也好犯罪也罢,基本都是采信女方的说法为主要依据进行调查,是法律对妇女的保护。
至于,对“失足妇女”如何横暴,欺凌,所谓“霸王硬上弓”之类来解释“揩油”,那基本是没有把握好“揩”的力度而产生的自然联想。苏州石路,上海四马路,北京八大胡同之类风月场所早已湮没在历史之中了。但,“揩”字还在苏州话里留存,至于“揩油”一词以及用“贪污”,“占小便宜”,“性骚扰”来替代的“揩油”的行为能留存多久,这,就不好回答了。
多些平常语,不作应制文。
日本語版はこちらから????????
前回の「隠泄」に関わる説明:
この前発表した「隠泄」の文章で、「隠泄」の当て字は「隠瀉」のほうが正しい、発音を(yin?sio)と付けておいたのは間違いないが、当て字の間違いがあり、ここに、読者の皆さんにお詫びを申し上げたい!
:“でしょう、私が言ったのが間違いないでしょう?その「泄」なら、蘇州弁ではsiと読むべきから、どう考えてもおかしいなあと思っていました”、その通りだ!皆さんにもっとの正しい記憶に戻してください。間違った内容に引っ張られていかないように。幸いに本文の内容はその一字の差異で「落盤」するほど崩れることがない。改めて説明しておく。なお、発表した内容についての修正の場合は5文字で限度ということで、訂正は見合わせておく。これからは更に細かく検閲をし、間違いの発生を避けるよう努めていきたい。皆さんのご支援を感謝している。新型コロナウイルスの期間中なので、握手をせず、拳を作り、お辞儀をさせていただく。本日は「揩油」という拙文を差し上げて、皆さんにお楽しみに読んでいただきたい。
???????蝠荷堂頓首
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揩油(ka?yu)
掠る、上前を撥ねる、女に戯れる
今なら、この言葉が使える人は旧派人物と言える、中年以上、下限はおよそ70後と80後の間にあるだろう。皆で蘇州弁を使っていた時代にはよく使われたが、今になって、蘇州弁の運命が次第に衰えてきて、あまり耳に入ったことがなくなって来た。一時期前にたまに講談師で舞台で芸を演じる時、「揩油」という言葉は“白相人”(浪人やチンピラのような人)が“踏み外す婦人”(堕落した女性、売春婦の婉曲的な呼び名)に対しての苛めや暴行を加える意味だと紹介していたが、些か耳に異物に入った気がした同時に、興味を起こされ、その語彙の詳細について整理してみようと思った。?
蘇州弁中の「揩」の一文字では軽く擦る、拭くとの意味であり、常用詞である。朝、起きてから歯を磨き、顔を洗って、一日の生活が始まる。顔を洗うのを「面を揩する」という、つまり、手で湿ったタオルを持ち上げて顔を拭く、わざとマッサージするつもり以外は普通特に力を入れてやることはない。テーブルを拭くのを「台子を揩する」という、手のひらでで雑巾に当てて、順番に左右、上下にして、埃や雑物を除去する。強く染みついた垢或いはチューニングガムの跡があれば「揩」するだけでは無理なので、「擦る」ようになり、ほかの道具を頼りにする??、:“三郎、台子(テーブル)に沁みがあるから、刷毛でも持ってきて、擦ってみて、染みを落としてから、綺麗に「揩」(拭く)しなさい”マスターがラーメン館のテーブルを検査したあと、ボーイに言いつけた。昔、銭湯でお風呂に入った時は垢だしサービスがあった、蘇州弁で「擦背」(垢だし)という、熱いタオルをすっかり絞って水を切った、師匠さんの腕に巻かれ、あなたの背中を上から下へと力いっぱいで擦る、完全にヘチマの干し筋で擦られたピリピリという感触だった、:“おい、お前は力が強いね”“力を入れなきゃ、垢が取れないよ”揚州の師匠は痩せているけど、腕の筋肉はかなり盛り上がっている、擦ったことで、沢山の垢が取れた。国語の「擦る」の意味に似た動詞は蘇州弁には:坑(kang),抹(ma,me),揩,擦などあり、力度合いは徐々に大きくなる。くどくどここまで話してきたのはとにかく「揩」という意味は柔らかい力で、乱暴な感じがないのを理解していただきたい。窓ガラスを拭くのを「ガラスを揩する」と言い、国語中の窓ガラスを拭くのは蘇州弁で殆どガラスを「揩」すると言っている、当時の数本の小さい釘にパティで固定されたガラスが力を受けて、枠から外れ、楼の上から落ちたら大変なことになる。混乱な局面を収拾する場合、国語で「擦屁股」(尻拭い)と言っているが、蘇州弁では「お尻を揩する」となる、力の差で「お尻」を優しくする感覚が伺える。革靴なら「擦」(磨く)を使う、革靴を「揩」するとはあまり言わない、皆さんにちょっと考えてもらえば、二つの動作の力の差が分かると思う。??????????????
「揩油」の源は掴まえ所がないのが決まっている。日常茶飯事であり、何か変わったことで囃すこともないはずだ。
講談師の先生はぼやけた解釈では源を言えばとにかく高雅な由来ではないと言っていた、それで、無理やりに女を苛めるほうに持ってきたのだ。あまり高雅ではないと言った為、芳しくないことだから、それにしても引き続き探ることは多分ないだろうと予測して、見せかけの説明をしただけで好奇心を阻むつもりだった。
同治三年(年)春のとある日、「陸稿薦」(熟肉の老舗、チャーシューや各種の肉料理の前菜を作ることで有名)の俎板に、肉を切った後、油が溜まっている、店員が綿の紙でちょっと「揩」(拭いて)して、袖口に隠した、ところが店主に発見された、「揩油」の目的を聞かれば、持ち帰って、引火材にしようと、火をつけやすいし、便利だっという答えらしい。店主の回答では:「揩油」は小さいことだけど、店のルールは大事で、今日は綿の紙で油を「揩」したが、明日家鴨の醤油煮を半分隠さないとは保証できない。そこで店員が土下座して、反省させられたという。これこそ、老舗の管理はいかに厳しい物だろうと分かる。そのことは「某某の筆記」云々の本に記載され、清朝の蘇州のとあるあまり知られていない誰かによって記されたということで、「揩油」の由来が裏でけられたという。しかし、あくまで私の杜撰に過ぎないものだ。
有る地方の地主、普段けちけちしていた。万貫の家財を持っているのに大根、豆腐、青梗菜ばかり食べていた、節約して引き続き富を貯える手段にしていた。出かけるときに、必ず窓枠に置いた一つの宝物を取る:一枚の豚の皮だ、それで唇を「揩」したあと、門を出たのだ。満足そうな神色で、更に爪楊枝を噛みながら、熱心に出会った知り合いに挨拶した:“食事したか?と。こうして他人の眼差しを彼の油っこい、太い唇を注意させていた。これは方言考証家が見つけた「揩油」の由来だそうだ、勿論聞いたことを記録しただけに過ぎない。今、そのような記録方式を一つ新しい名詞、“口述歴史”と読んでいる。
私はテレビドラマから「八旗子弟」(清朝の満州族の貴族)が没落したあとの様子を表現するストーリーを見たことがある、前述した地主のやり方と全く同じだった。もし「揩油」の由来を言えば、むしろこれを取りたいと私は考えていた、というのは魯迅先生の解釈では:“揩油は奴才(奴僕)の品行のすべてを言っているものだ”とあった。しかも、奴才という呼び名はそもそも満清の特産である、漢民族の官吏は「臣」と自称するに対して満州族の官吏だけで「奴才」を自称していたのだ。漢族の人が「奴才」を言ったら、身分の僭越になってしまうことになる、「奴才」は形が変わった貴族出身の誇りに思わせる表現になったのだ。勿論、今になって「臣」という言い方もなくなったが……しかし、例の化粧用の豚皮が自分で買ったものではなく、肉を買う場合、肉屋さんからただでもらったか又は俎板の下からこっそりと拾ってきた物でない限りそのような「揩油」も蘇州弁中の意味と一致していなかったのだ。
「揩油」の蘇州弁において主な意味として:何かの業務の便利で、上前を撥ねることである。今の言い方にすれば:公を損なって、私を肥やすことに当たる。手法は巧みがあって、ないようである、非常に「隠泄」(隠れている)的な物だ。もし すぐに慌てて油を擦る、乃至油を搾るようにすればそれは下手くそになり、掠奪に落ちてしまう、それは恐らく間もなくすれば汚職管理局に特製コーヒーがいかが?と誘われてしまうだろう。
道端に駐車した、公示価格は8元一回とする、管理員が軽く車窓をノックした、ガラスを下ろした、探しても5元のコイン玉しかなかった。仕方がなくて、:“領収書は不要です”と言う同時にコインを伸ばしてきた手のひらに入れた:“何とかしてくれないか”“はい、大丈夫です”そこでウインウインになった。管理員は5元もらった、あなたは3元節約した、最後は管理員を雇う管理会社のほうが損をした。このような行為は管理員の「揩油」になった。ところが、今になって、監視カメラが日増しに増え、スマーフォン中のAPPの自動支払い方式が普及しつつあるため、このような「揩油」の抜け穴は徐々に塞がれていく。
以前、普通の職員が事務室からたまに便箋、封筒を持ち帰ったことがある、応急用の場合は許せる範囲にある、「揩油」までとは言えない。住宅電話、携帯電話がなかった歳月に、工場の名前或いは何かの専門機構の赤いタイトルが刷られた便箋で手紙を書いたことがない人がいないだろう?社用車を運転する運転手はそんなことをやるなんかはしない、彼らは決まった修理屋さんに頼んで、額面金額を高くするとか、ガソリンスタンドのクーポン券、景品券を自分のポケットに入れることで毎月の給料以外に多くはないが、別収入がもらえる、会社にも大きな損は与えない、管理者が費用請求書にサインするときにあまり気づかずになるが、これは「揩油」行為だった。
購買担当者が“リベート”を取るのは誰もが分かることだ、大胆なやつは会社の看板を掲げて、食べたり飲んだりして、たばこやお酒を手で持てないほどもらっているし、定期的に上乗せした費用の額を計算してもらっている、日にちが立つと、もし 金額が違法の赤ラインを上回ったら、それは職務犯罪になる、一旦発見されれば、軽い場合は訓戒され、金を払い戻されるが、ひどい場合は法律処分に追訴される。類似なことは病院の先生たちも兼業のようにやっている:処方の薬の使用料を記録し、報酬を精確に計算している。審査批准の権力を持っている部門においてもそのようなことはまだある、繋がる範囲が広い。古来から、源が遠くて、弊害が続いている、外国諸国でも、世間にいる限り、その跡を絶やすことはない。皆さんは時々新聞、テレビなどのメディアを通じて「木食い虫」が法網に陥った報道が見られる。「揩油」は小さい行為のように見えるが、積み重ねていけば、大きな穴になるので、人員を管理する部門においてはそれを注意をせねばならない。
「揩油」の第二段階の意味は従属性のないうまい汁を吸う行為である。
「揩油」に上手な人は、何年前にホテルに泊まる際に、灰皿や、浴室のタオルなどを「揩油」した、ひどい奴はリモコンすら盗んで帰った、今度は外国に行き、地下鉄のゲートの所で高飛びを練習する、自販機に「鉄砂手」(カンフの一種で手のひらで物を打つ)を与え、自販機に血を吐かせ、タバコや飲み物を進上させ、ご勘弁を請うようにさせる。「揩油」好きな人は本当に場合を拘らずに技を披露する傾向がある。現在、生活条件が良くなったことで、また精神的な求めに転換してきた:花見をする時に花を摘んで髪の毛に差す、水を楽しむときはついでに足を洗うようにする、中にシルクスカーフが好きな叔母さんのほうが多いようだ。
また、友人の間のことを言ってみよう。
多くは男性の親友の間に距離感がない場合にあることだ。友達を言えば、勿論、金を出して雇ったわけではない、この言葉を使う場合はあなたは彼のボスでもない、二人の関係は「仲間」にあると言えるだけだ。“この手袋は悪くないね、丁度、こいつが欲しい”回答を得ずに、手に嵌めこんでしまった。“またか、お前は俺に「揩油」するのは”“うるさく言うなよ、一週間蒸し肉ラーメンをおごるから”“そうか、よし、俺の車にまだ残り分を持っている”そんなことは親密関係を示し、遠慮をしない友情の表現になる。対面での「揩油」や明らかな「揩油」と言える。私たちの幼いころは同じ机の隣同士の間に文房具を貸し借りをしたりした、借りてきた時は削ったばかりの鉛筆一本で、返そうとしたときはもう指で掴めないぐらいになった、それは「揩油」の最初段階の練習だと言える。勿論、必ず別の方式で返す、例えば数日間の宿題を書いてあげることで。もう一つ闇に「揩油」のことがある、それは少し悪質な成分がある、前例を踏まえて、手袋を取ったのに、蒸し肉ラーメンをおごらない、他人の鉛筆を使ったのに、宿題を手伝ってあげない、それは問題がある、うまい汁を吸うくせになってしまえば、直すのに難しい。
買ってきたばかりの雑誌をまだ読んでいないうちに友達に取られちゃった、数日後返されたが、麺棒になっただけではなく、中の美女の顔にタバコで焼いた穴があった、苦笑して、相手にやっていいとした。大学の時代に同級生の間に自転車を互いに貸し借りをしていたが、返すときに土まみれで、洗うのもしないままにした。所謂「良い友達」にしても互いにそんな細やかなことを気にせず、本当に性に合う場合を除いて、時間が経ったら多少隔たりが生じる恐れがある。今になってその「揩油」の状況は人の基本素質の向上につれて、観念の変化に伴って、ますます減ってきている、車に「車と女房を貸し出しはしない」という張り紙でよく解釈されている、勿論、一種の揶揄の表現になるだけど。
闇に「揩油」をされることは気持ちが悪い、その上、本当に「揩油」をされたら更に悩む。熟知の相手の間に発生したことで、面子の為、打ち明けて言うのも無理だ、限度は今度無しというか、更にひどい場合は付き合いもしなくなる。例えば:元、元借金される、急用に間に合わせると言って、近いうちに返すよと約束した。半月も経ったが、道で出会っても何の返しそうもない気配の上、何も発生していないような顔色である。返済を促す話を言おうかと躊躇っているが、僅かな金額で面子に傷を付けたくないと思って、飲み込んだ、明らかに「揩油」されたと分かっても心で「最悪」と叱るしかなかった。もし このような事情があれば、早いうちに提出した方がいい、物忘れがひどい人がいることが排除できないから、誤解しやすくなる。延々と長引いていくと、逆に:“あら、どうして早く言わないのか?”と聞かれてしまう、自分が今度気が小さいほうになり、最悪なやつになってしまう。
「揩油」の第三種類の意味は女性に対する失礼な行為を言うのだ、古字の書面用語として「軽薄」であり、丁度「揩」という字の程度に合っている。今では一つぴったりとした言葉:セクハラがある。古い言葉の「女に戯れる」乃至法律名詞の「猥褻」などいずれも力の度合いが過ぎた気がする。若い男女が好感を持ち合い、映画を見に行くときに手を連れるとか、ダンスするときに腰部に知らないうちに数本の指を通じて少しメッセージを伝えていくとか、さりげなく髪の毛の触れ合いとか、今の時代においては異様ではないことになる。しかしもし見知らぬ相手或いは普段あまり接触しなかった男女の場合は、女性のほうがあなたに何の親近感を持たずにいるなら、男性が前例の動きは「揩油」の範疇に入ってしまう。初対面で、美人の手を長い時間で握って、軽く叩いたりする同時に褒める言葉を送って、目から炎が出るようになり、涎が垂れそうになるボスらは特に「揩油」に優れるベテランだ。叔父さんやお爺ちゃんがタイでおかまとツーショットを撮る時各種の隙間がないように身を寄せて、親密なポーズでとることも「揩油」を解釈する実例である。油濃い男(スケベや形が崩れた中高年男性のこと)という言い方もそこから始まったそうだ。
ここにこのような「揩油」を自ら垂範していたベテランの“先生”の物語をついでに紹介しておきたい、それは当時汪兆銘の偽政権で“行政院副院長”“外交部長”を務めたことがある「褚民誼」のことだった。「漢奸」(漢族の売国賊)のやつであまり言及する必要がないはずだが、つい最近某「混元功法」を持つ太極拳の大師がボクシングコーチと切磋琢磨をする際に瞬間にぶっ倒されて、片一方の目が腫れ上がって、胡桃大になったにも関わらずに:“私は寸止めした、彼は反則だった”と言っていた、世論が喧噪で、太極拳は一体対抗性を持つかどうか疑われていたのだ、その背景で、好事家は太極拳を熱心に練習し、影響を広げるに大いに力を入れていた褚民誼が残した動画資料をネットに投稿した、画面中は彼が「四両で千金に敵う」技法を演じていた。動画を見たことで、私の興味を起こした、そして、不意に彼の「揩油」の噂も調べた、実に例の言葉のもう一つの由来説になれるぐらいだと思う。あれは年のことだった、その年に国民政府が杭州で第四回目の全国運動大会を開催した、褚民誼が国民衛生建設委員会委員長を担当していた、国民政府の高官だと言える。国術(武術)が好きなわけで、運動会の業務に相当積極的態度を示した、頻繁に運動場の片側に姿を見せて、熱心に本来はチーム中のセラピストがすべき一つの仕事をしていた:陸上競技の女子選手にテレビン油を「揩」していた、ついでにマッサージをしてあげた、より良くウォーミングアップさせる目的だった、多分励みを話したほかに:“筋肉が素晴らしいね”と称賛する同時に:“いつ我々筋肉比べをしませんか?”というのも忘れていなかった、記者に写真を撮られて、記事まで出された、かなり物議を受けていたらしい。衛生官員として選手たちを愛護する理由で通じるようだけど、問題は彼が取り分け“女子選手”を愛護するから、どうも「酔いたい人は酒のせいじゃない」つまり目的は単純ではない、そして年の第五回の全国運動大会が南京で行われるときに、彼は今度真面目に”マーメード”と言われた女子水泳の選手楊秀琼の為、馬車の手綱を引いたのだ、自ら馬車を操って、人目を集めている中、市内のメインストリートを走っていた。その時、彼の身分は行政院秘書長だったから、想像する空間を十分に残していた。そのベテランの御者は最後に年に蘇州で処刑された、場所を言えば、今建設中の耦前別荘の方にある―――倉街の元の第三刑務所(旧称は獅子口監獄)の旧址にあった処刑場だった。話では極めて深い太極拳の功力を持ったため、着弾後、度回転することをして処刑の警察に顔を合わせて、一つ「白鶴が翼を伸ばす」という構えを見せたそうで、警察らに冷や汗を出させるほろびっくりさせたらしい!
芸能界にある「秘密ルール」などは殆ど「揩油」から犯罪の間に遊走している、暗闇に黒い幕が重なっている。「揩油」の度合いは把握しにくいので、過ぎたら、まさに講談師が言った女性に対する苛めになってしまうし、スキャンダルを起こして、外国の司法の追訴を見舞われるのも事業自得になる恐れに繋がる。だから「揩油」はリスクが高い、ゲームに気を付けなければならない。というのはそのような事件においては「揩油」でも、犯罪でも、殆ど女性の訴えをベースにして、調査を展開するからだ、法律として女性を保護する設定の意味も含まれている。
「踏み外す婦人」に対して如何に苛めるとか、暴行を加えるとか、所謂「無理やりに」悪事をすることで「揩油」を解釈する場合は、基本的にその「揩」という字の力を配慮せず、想像したことに過ぎない。蘇州の石路、上海四馬路、北京の八大胡同など遊郭地はもはや歴史に隠れてしまった。ただし、「揩」という字はまだ蘇州弁に残っているが、「揩油」という言葉並びに“汚職”、“上前を撥ねる”“セクハラ”で「揩油」の言い方を代替する行為がいつまで続くかという質問に対して、それは中々答えられないと思う。
二次元バーコードを識別して、私の文章を楽しめよう?????
蝠荷堂主
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